関 房代 遺歌集 てっせん
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2013年9月14日に関 俊夫様が『関 房代 遺歌集 てっせん』を自費出版されました。
サイズ | 四六版 |
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製本タイプ | ハードカバー |
発行年月日 | 2013年09月14日 初版発行 |
ページ数 | 289 |
著者 | 関 俊夫 |
ISBNコード | 978-4-86431-211-0 |
関 房代 遺歌集 てっせん
著者 関 俊夫 様
「関房代 遺歌集 てっせん を手にして」
廣畑加代子
母房代は唐突に亡くなった、心筋梗塞。
父は飛行機を作るためにこの世に生を受け、75歳まで現役ヒコーキ職人であった。
母は武家出身を芯に持ち、てっせんのように強くたおやかで、古文書を紐解き、短歌に出合い、晩年は重いリウマチで思い通りにならない体の分だけ精一杯自分を表現した。
父は退職後、母の介護を、「生きる意味」とした。その母が唐突に亡くなった、父は母だけでなく自身の「生きる意味」をも失った。父の口からは「早く死にたい」ばかり。肩を落とし、目に生気はなく、食欲は落ち、狭心症・・見る見るうちに寝たきり状態へ。父に「生きる意味」を取り戻してもらいたいとの企画はことごとく失敗した。実は父の心臓の状態は悪く、時々止まることがあった。気力だけで母の3年祭(仏教でいう3回忌)を行うと父は自分で遺歌集づくりを思い立った。父の目に光が戻り、食欲が戻り、笑顔が戻った。娘としては今父の思いを実現し「生きる意味」に直結させることが最重要課題。
作りたい物は頭の中にできているがどこで実現できるかわからない。当てにしていた印刷所では無理だった。論文製本と自費出版では違うらしい。孫娘が今回手本とした「ささゆり」の背表紙を返しここで作ればと指をさす。インターネットで早速検索。華やかでオイシイ儲け話も促すページが多い中、地味だが品よく、顧客のニーズに細かく柔軟に対応する姿勢も見て取れるページがあった。会社の名前を見ると、「一粒社」。あの日孫娘の指先に印刷されていた≪あの半田のささゆりの≫一粒社!父の命があるうちに実現させなければ意味がない。すぐにメールし翌日には都築さんとの面談という展開の速さ。
都築さんは、長年の経験から巧みな話術で着実に私たちのニーズを把握し、最適な提案をして下さった。国立国会図書館にも置いてもらえると。自身の歌集づくりは母の夢でもあった。「日本では出版すると国立国会図書館に収めてもらえるんだって」いつかの母の言葉と憧れに満ちた目の輝きを思い出す。希望が見えてきた。ただ、手間のかかった本格仕上げの遺歌集の完成は9月。猛暑の夏を超えて父の心臓がそれまで持つか?出来上がるまでは死ねないと思ってくれるか?娘としては不安と期待が入り混じる。
本ができた!と父から連絡があり、とにかく駆けつけた。父は本当に生きて手にすることができた。本を持ち帰ると、どこから出てきたのか満足げにピースをして微笑んでいる母の写真がテーブルの上に。これは運命か偶然か。母が誇らしげに国立国会図書館に腰を下ろして喜んでいる姿が目に浮かぶ。
タイトルてっせんの文字は亡き母の肉筆手紙の中から現場の方が一番良い字を拾って下さった。本当に母が書いたよう。父母の喜ぶ顔を見て娘の務めを果たしたと肩の荷を下ろせた。一粒社の皆様のチームワークと誠意に母が曲った指で感謝していますありがとうと。
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- [ 著者の声寄稿者:関 俊夫(愛知県) ]